大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)3993号 判決 1971年9月13日
原告 小川美智子
右訴訟代理人弁護士 万代彰郎
被告 梅村範男
右訴訟代理人弁護士 奥村正道
同 池田俊
同 寺岡清
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、当事者の求める裁判
(原告)
被告は原告に対して、七一万六、九八四円およびうち四八万八、三九七円に対する昭和四四年八月二〇日から、うち一四万八、五八七円に対する昭和四五年二月一日から各支払ずみにいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決とこれに対する仮執行の宣言。
(被告)
主文同旨の判決。
二、事実関係
(請求原因)
(一) 本件事故の発生
原告は昭和四四年三月二六日午後六時ころ大阪府守口市北寺方五九四番地に所在する被告宅の勝手口前を通行中、被告方勝手口東側の柱に長さ一・五メートルの鎖で繋留されていた雑種秋田犬「百合」(体長約一メートル)に突然飛びかかられ、咬みつかれたため、右肘部咬傷后、右上腕知覚異常症の傷害を受けた。
(二) 責任原因
原告に咬みついた「百合」は被告の占有飼育するところであるから、被告は民法七一八条の規定に基づき原告が本件事故の発生によって受けた一切の損害を賠償する義務がある。≪以下事実省略≫
理由
一、本件事故の発生
原告がその主張のころ主張する場所に繋留されていた「百合」に肘部を咬みつかれ、その結果傷害を受けたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、原告は別紙図面表示の自宅を出て文化住宅と被告宅の間の路地を通り西の表通りに出るべく被告宅の勝手口前にさしかかった際、「百合」に咬みつかれたのであり、その結果原告の受けた傷害の内容は原告主張のとおりであることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
二、責任原因
被告が原告に咬みついた「百合」を占有飼育していたことについては当事者間に争いがない。
したがって、被告はその主張する抗弁が認められない限り、本件事故の発生によって原告の受けた一切の損害を賠償する義務がある。
三、相当の注意による保管の抗弁
被告は占有飼育していた「百合」を別紙図面表示のクサリと記載されているところに繋留していたが、この繋留方法では「百合」が板べいを越えて私道に一犬身出られる状態にあったことについては当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、「百合」が繋留されたまま勝手口の板べいから一犬身出られるようになっていた私道は別紙図面表示の原告宅付近において幅員二・四メートルないし三メートル位あり、付近に住宅もあるところから子供を含めての人通りもなくはなく、文化住宅と被告宅の間の幅員約五〇センチメートルの路地も文化住宅の軒下通路と合せて幅員約一・五〇メートルになるので、原告宅付近の居住者が西の表通りに抜ける近道として利用していたことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫
以上の事実を認定することができ、右認定事実によると、被告は子供を含めて人通りのある私道に勝手口の板べいから一犬身出られる状態で「百合」を繋留していたことは明白であるところ、飼犬は飼主やその家族に対しては従順であるが、その他の人、特に未知の人に対しては必ずしもそうでないばかりでなく、食事中は他人に危害を加えやすく、また、食物を持った子供達にも危害を加えやすいのを通例としているから、被告においてこのような犬である「百合」を子供達も含めて人通りのある私道に一犬身出られる状態で繋留していたことは民法七一八条但書に規定する「動物の種類および性質に従い相当の注意をもってその保管」をなしたものとは到底いえない。
したがって、被告による相当の注意による保管の抗弁は失当であり、採用することはできない。
四、原告の作為……自招行為の抗弁
ところで、動物の占有者はその種類および性質に従い相当の注意をもってその保管をなしたことを立証した場合ばかりでなく、相当の注意をもってその保管をなさなかった場合においても被害者の受けた損害が自らの作為(自招行為)、すなわち、被害者が故意または過失により動物に危害を加えたりしたためその反撃として傷害などを受けたことを立証した場合においても、損害の公平な負担という観点からみて損害賠償責任を負担しないと解するのが相当である。
これを本件についてみると、前記認定の事実に≪証拠省略≫を総合すると、つぎのことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫ すなわち、
(一) 原告は犬好きで本件事故発生の四、五年前からスピッツの雑種犬を飼育していたので、犬についての知識、経験をある程度有していたばかりでなく、被告とは私道をはさんで近所に居住していた関係から、犬を散歩させている途中で「百合」を散歩させていた被告の妻に会ったこともあり、その際には「百合」に近づきその頭を撫ぜたこともあるが、「百合」はほえもせずおとなしくしていた。
(二) 被告は本件事故発生の約三月前に成犬となった「百合」を他から買い受けたのであるが、第二次大戦中に軍隊で半年程軍用犬の飼育を担当した経験からみて、「百合」は食事の邪魔をされたり、身の危険を感じたりしない限り通行人に危害を加えないと思われたので、買い受けて以来前記のとおり一犬身私道に出られる状態で「百合」を繋留していたところ、「百合」はその私道を通る子供達に可愛いがられ、よく頭などを撫ぜられていたが、本件事故発生に至るまでに子供達に危害を加えたようなことはなかった。
(三) 原告の飼育していたスピッツと被告の飼育していた「百合」とは散歩の途中などで顔を合わすこともあるが、あまり仲が良くなく、本件事故発生の約一月前には犬同志で喧嘩したこともあり、また、本件事故発生の後には原告の飼育するスピッツが被告宅に入り込み「百合」に咬みつかれて半殺しの目にあったこともある。
(四) 原告は本件事故発生の日別紙図面表示の自宅を出て文化住宅と被告宅の間の路地を通って西の表通りに出るべく被告宅勝手口前の私道を通行していったのであるが、その私道は「百合」が一犬身出ていても「百合」に近付かないで十分に通行できる状態にあったのであり、被告が「百合」を飼育しはじめてから本件事故発生の前日まではそのような方法で私道を通行していた。
(五) 原告は被告宅勝手口前の私道を通行中わざわざ繋留されている「百合」に近づき、右手を出した際に咬みつかれたのであり、本件事故発生の直後に被告が原告宅に謝罪に行った際にも、原告の夫である訴外小川満男は本件事故発生についての原告の非を認め、「手を出して咬まれたのだから、仕方がない」といっていた。
(六) 被告は本件事故発生後も、「百合」はやたらに人を咬まないという自信があったので、「百合」を実験的に自宅の玄関のところに繋留してみたところ、「百合」は同所が人通りが多いにも拘らず、食事の邪魔をした小学四年生の訴外首藤浩一に軽傷を与えただけで、子供達が毎日のように通学の途中などに頭を撫ぜたりして可愛いがっていたが、子供達に危害を加えたようなことはなかった。
以上の事実を認定することができ、右認定事実によると、原告を咬んだ「百合」は近付いてくる通行人をむやみやたらに咬む強暴な犬ではなく、親愛の情をもって接すれば食事中の場合のように感情が刺激されやすい場合を除いては従順な犬であり、また、原告も犬を四、五年飼育した経験を有していて、それに伴い犬一般についてのある程度の知識・経験を有していたのであるから、犬に接近するに当り、その犬が親愛の情を示しているか、それとも危害を加えかねない態度を示しているかもその表情や動作によってある程度判別できる状態に達していたのであって、本件事故発生の際にもそのような判別をしたうえで以前に頭を撫ぜたことのある「百合」に近付いたのであるが、原告としては「百合」について良い印象を持っていなかったことが推認される。
そして、右推認事実によると、「百合」が原告に親愛の情を示していたので近付いたところ咬まれたことも、「百合」が危害を加えかねない態度を示しているのに、親愛の情を示す意味で原告が「百合」に近付いたことも到底考えられないから、原告は「百合」が食事中で感情が刺激されやすい状態であることを知りながら、食事を妨害する目的であえて「百合」に近付いたのか、あるいは当初から「百合」の頭を叩くなど危害を加える目的で近付いたかのいずれかであり、その際に差出した右肘を反撃的に咬みつかれたと断定せざるをえないのであって、いずれにしても本件事故は原告の作為、すなわち、自招行為によって発生したものであると認定するのが相当である。
そうすると、被告の原告による作為(自招行為)の抗弁は理由があるから採用すべく、その結果被告には本件事故の発生によって原告の受けた損害を賠償する義務はないことになる。
五、結論
したがって、被告に賠償義務があることを前提とする原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 中山博泰)